2008年06月20日

「ブルーノ・ムナーリ展 あの手 この手」

 滋賀県立近代美術館は遠い…と思っていたんですが、1時間強ぐらいで行けるんですね。意外意外。

公式HP http://www.shiga-kinbi.jp/exhibition/exhibition_database/pressrelease/exhibition_08-2.html

 さて、ブルーノ・ムナーリといえばなんとなく絵本作家だと思いこんでいた私なのですが、こうして大回顧展を見てみると、本当にいろいろなことをしている人だったのだなあと実感。何にしても、イタリアならではのカラフルで洗練された色彩にしびれました。あーなんかイタリア行きたくなってしまったよ。

art1.jpg

 ただ、ともかくも「本」というものにとことんこだわったアーチストであるのは確かで、生涯にわたって膨大な本が送り出されている。それも「絵本」や「画集」というような分かりやすいものばかりではなくて、フォークを曲げてパフォーマンスに見立てた判じ物めいた本「ムナーリのフォーク」とか、字がまったくなくて紙の色や裁断で抽象彫刻めいた表現をしてみせる「読めない本」とか、およそ商業出版として成り立ちそうには見えないものが次々と出版され、現在もちゃんと入手できるのがすごい。よほど本国でも愛された人だったんだろうなあ。

 そして驚くのは、日本語に翻訳されたものも結構多いこと。トレーシングペーパーに印刷して霧の感じを再現したり、ページに穴を開けて洞窟の雰囲気を出したり、アイデアを出すのはいいけどこれで採算を取れる製本が出来るのかと心配になります。この本は現在入手可能な様子。おすすめです。




 ムナーリは堂々たる後期未来派のアーチストであったけど、同時に優れた児童教育者でもあったわけで。面白いのは、妥協して子供向けの教材を作っているわけではなくて、後期未来派としての作品制作そのものが、子どもたちが歓声をあげて喜びそうな知育教材として出来てくること。

 非常に多面的だったムナーリの全貌がまさに「あの手この手」で楽しめる展覧会ですが、何よりもうれしかったのが、ムナーリの著作の多くが実際に手にとって読むことができること。本当、触ってナンボのものですからね。遠方からお出かけの節は、会場最後に並べてある本を読むために時間がかかりますから、ちょっと余裕を持って。あ、そうそう。ムナーリが手がけた映画4本も見ることができます。これもなかなかユニークですから。じっくり見てね。
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2008年06月14日

「液晶絵画」展

 「液晶ディスプレイの登場によって、初めてビデオアートは絵画のように壁に架けて鑑賞できるものになったのではないか?」

 うーん。なるほど。そういう時代が来ていたんだなあ。気づかなかったよ(おいおい)長く実験映画の世界に関わってきた人間としては、液晶プロジェクターの登場で満足してしまっていたところがあって(ビデオが映画のように見られるから)、液晶モニターの重要性に気づかなかった次第。面目ない。

 というわけで、「絵画のように壁にかけて」楽しむビデオアート。そんな初めての展覧会、行ってきました。↓

http://www.nmao.go.jp/japanese/home.html

 いやあ技術の進歩ってすごいですねえ。ギザギザのチープな画面をコンセプトの中に織り込まざるを得なかった80年代が隔世の感がありますよ。あのころはでっかくて重い箱形ブラウン管をわっしょいわっしょいと数人がかりで運んだもので。創始者であるナムジュン・パイクから以降しばらくはビデオアートとは限りなく彫刻に近いものだった。

 それが投射画面の開発でインスタレーションに近いものとなり、今や自在に操れる文字通りの「動く絵画」というわけ。ブライアン・イーノが縦型モニターを提唱した時はずいぶんとっぴに感じたものだけど、こうして液晶絵画の時代が来てみるとむしろそれがごくあたりまえ。縦型映像のオリジンである「Thursday Afternoon」も出品されてましたけど、なんか埋没してしまってたのがちょい複雑です。縦型モニターは結構今後増えていくんだろうなあ。今回もやなぎみわとか、森村泰昌とかごく当たり前のように採用してましたから。

 ただ、最大の問題である「どれだけの時間見つめ続けるべきか」という問題は相変わらず残る。というのもみんな上映時間が結構長いのです。30分とか40分とか。イーノのように「一瞬だけ見る」ことを前提に作るのなら別なんですけど、やっぱり見つめ続けなきゃいけないのかなと。となると、美術館という環境はあまり鑑賞に向いているとはいえないわけで。難しいですねえ。いや、やっぱりひととおり見たいのが人情ですから。

 どれが一番おもしろかったかというと迷うのですが、ヤン・フートンの硬派な6面マルチドキュメンタリー「雀村往東」とデミニク・レイマンの遅れて表示される監視カメラ「YoLoBi」、そして古典だけどやっぱサム・テイラー=ウッドの腐食コマ撮り「リトル・デス」かな。ウッドは短いし、壁に架けると結構栄えるし。魅力を再認識しましたよ。

 不満が一点あるとすれば、ミュージアムショップに映像作品がほとんど売ってないことですかね(^^;またいつか「液晶絵画2」見てみたい。あってもいいんじゃなかろうか。それにしてもこれ、中之島の国立国際美術館のためにあるような企画だな。怖いぐらいハマってます。
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2008年05月15日

「暁斎−近代へ架ける橋」「暁斎漫画展」

 ずいぶんたって展示も終わってしまいましたが、せっかくなのでご報告。関西に住んでいると東京オンリーという展覧会の多さに歯がみする思いになりますが、「関西でよかった」と思わせてくれるのが、この京都国立博物館の大胆不敵な企画展の数々。まさしくマスターピースというべき超一流品ばかり、しかも強烈に独創的な視点で日本アートの明日をリードしていこうという野心的なコンセプトが実にたまらない。展示作品についてはわれらが現代美術仲間のあたしかさんが詳細にレポートしてくれているので、そのあたりはお任せすることとして(^^;私は全体的な印象を語っていきましょうね。

http://blog.livedoor.jp/yami_yahma/archives/51910190.html#trackback

 現代美術オンリーの我々に日本画の面白さを開眼させてくれたという点で京都国博にはいくら感謝してもし足りない。ポップな若冲、パンクな蕭白と来て、暁斎は何でしょうね。ネオ・ゴシックというあたりがぴったりの表現ではないかと思いますがいかが(^^;

 若冲や蕭白はただ単純に早すぎた才能というべきでしょうが(それでも同時代的に彼らを評価し得た江戸文化の懐の深さはすごい)、暁斎はもう少し複雑。幕末から明治期に生きた究極の日本画絵師として、戯作的なテイストが近代化の中で疎まれていき、結果として死後まったく忘れ去られてしまうこととなるわけですが。これってある意味で、アベル・ガンスなど末期の究極サイレント映画が、トーキーの到来とともに一時期まったく忘れ去られてしまい、つい最近になって再評価されている傾向と近いかも、と思ってみたり。

 実は私は埼玉に住んでいたことがあるので、河鍋暁斎美術館(子孫の方が運営している)の存在も知ってました。しかも暁斎は天下のカエル絵師でもあり、カエル友の会の活動に参加したこともあって、普通の美術ファンよりは暁斎のことを知っていたほう。それでも今回の展示は驚いた。想像以上にグロくて圧倒されましたけどね。これがまた肉筆画の迫力というやつでしょうか。「新富座妖怪引幕」とか「地獄極楽めぐり図」の大迫力はやはり本物ならでは。「美人観蛙戯図」なんかもカエルファンとしてはうれしかったしね。

kyousai.jpg

 ただ、不思議なことにずっと古い時代の画家であるはずの若冲や蕭白が完全に現代美術の文脈で語れるのに対して、暁斎は戯作的で前近代的な記号を意図的に引用していることに意味がある。その古さを圧倒的な画力でもってモダンな意匠と混合することによって強烈な異化作用を発揮するところが彼の持ち味。同時代的にはもてはやされて売れっ子だったものの、それは時事的な興味と裏表で、死後に忘れ去られた、というのは無理のないことだったかも。でも、その「古いもの」に対するシニカルで批評的な目線が今となっては新鮮なわけで。ある意味この人、その途方もない画力も含めて、明治期の会田誠、といってもいいかもしれません(^^;もちろん、その過剰すぎる毒、という点でもね。

 そしてもうひとつ。同時期に御池の京都漫画ミュージアムで開催されていたのが「暁斎漫画展」。こちらは新聞などに発表された版画など刷り物が中心で、肉筆の迫力には一歩劣るのですが、無類の楽しさという点ではむしろこちらが上。幕末の毛利と徳川の戦いを皮肉たっぷりに描いた「風流蛙大合戦之図」は、カエル好きにはたまらない一品。長く本物を見たかったので、実に感慨深い。

kaeru.jpg

 この画像でどこまで伝わるか。とにかく膨大な数のトノサマガエルとガマガエルが乱闘を繰り広げる、壮絶かつユーモラスな超大作で、木版画でここまでのことができるというのがすごい。武器がガマの穂だなんてのもかわいくていいじゃないですか。ある意味で、現在のマンガの源流的な表現もあり、もっと多くの人に知っていただきたいところ。今回の京博の展示で暁斎の面白さも浸透していくことになるのでしょうが、われわれヲタクとしても暁斎テイストはもっと学ぶべきものを持っているなあと感じることしきりなのであります。いやそれにしても、日本画って奥が深いなあ。
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2007年11月29日

金刀比羅宮書院の美

 だいぶん遅くなりましたが、先日行って参りました。何しろ香川は古巣だし、うどんの聖地だし、若沖ファンとしては見逃すわけにはいかない。もっとも、目玉の若沖である「花丸図」は数年前にも公開されていて、その時にも見ている。まあ、今回はぐっと人が少なかったので、本当にじっくり見られましたけどね。前回はチラッと見るのが精一杯。襖の方はそうでもないんですが、壁画はかなり傷みが激しくて、薄暗い照明では、よくよく目を凝らさなければ見たとは言えない。

 それにしても若沖のアヴァンギャルドぶりはこんな作品でも出ていて、ほとんどが日本画ではついぞ見かけない花ばかり。金箔をバックに淡々と等間隔で花が並んでいるだけのシンプルな作品なんですが、そこにヒマワリとかハイビスカスとか描くかね。ヒマワリのギンギラなタッチは、「ゴッホかあんたは」と言いたくなるような偏執狂ぶり。

 今回の調査で分かったのは、若沖は他に2室の襖絵も手がけていて、残ったのは1室だけだったということ。傷みが激しくて破棄されたとかで、偶然別の寺で発見された「飛燕図断片」が今回里帰り展示。ある意味、これを見たくて行ったようなもの。破棄された襖絵の中から燕だけを切り抜いて保管していた、ということですが、うーん、本体が見たかった。ある意味、若沖の魅力は構図の奇抜さにあるわけで。

 それにしても驚かされるのは、常に時代時代の最先端を大胆に取り入れる金刀比羅宮のパンクさ。いつもはお行儀のいい応挙もお茶目な虎を描くし、岸袋はほとんど猟奇的なまでの蝶図を描くし。そして最新の依頼は、現役の画家である田窪恭治による大胆な「椿書院」。壁画の椿が柱まで浸食してるし(笑)神社なんて保守の権化みたいに思いがちですが、ことこの神社に限っては違う。そのことは、このトンがった公式HPを見るだけで十分分かるでしょう。

http://www.konpira.or.jp/

 なお、現在香川では美術館スタンプラリー中。というわけで、これまたなつかしい高松市美術館の「コレクション展T」も見てきました。あまり知られていませんが、高松市美術館の現代美術コレクションはなかなかのもので、一番有名なのが具体美術協会の田中敦子の「電気服」なんだとか。いやあるわあるわ、こんなすごいの高松にいる間に一度も見られなかったよ。これで400円は激烈に安い。お勧めです。

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/8996.html

 大阪からバスで日帰りの強行軍でしたが、なかなか充実のプログラム。唯一の心残りは、うどんを1回しか食えなかったことだなあ(^^;
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2007年11月22日

狩野永徳展

 話題騒然、ていうか、NHKの大宣伝のおかげで全国から物見高い見物客が押し寄せたわけですが(^^;なんせ、全国で京都だけ、会期もわずか30日、ってわけで会期末に背中を押されるようにして行ってきましたよ。さすがに少しは並ぶんじゃないかと思っていたけど、夕方に行ったのに50分も並ばされるハメになろうとは思っていませんでしたよ。

 今までで一番並んだ展覧会はというと、もちろんあの「フェメール大集合」の展覧会なのですが(朝いちで3時間並んだけど、出てきてみたら「5時間待ち」になってた)日本画にこんなに人が並ぶとはね。結局、作品よりも人を見てたなあ。まあ、それはそれとして。

 滅多に見られないのは確かだし、あの「若冲展」を仕掛けた京都国立博物館だけに、いろいろとマニアックな仕掛けが楽しみだったわけで。そのあたりでは期待を裏切らない。もちろん、図録も買いました。ポスターデザインからして、そもそもカッチョいいんですよね。日本画の楽しみに目を向けさせてくれた、という点で、京都国立博物館には大いに感謝したいところです。本当に、関西に住んでてよかった。円山応挙はガックリだったけどね。まあ、若冲の後に見るとすごくつまらなく見えるタイプの人ではあるが。応挙は。

 ただ、今回初めて開かれたという回顧展ではっきりしたことは、400年も前の絵師の回顧展を開くのは至難の業だということ。もちろん、町絵師であった若冲と違い、時の権力者に寄り添った永徳は、当然のことながら権力の転覆のたびに代表作を戦火で失う悲哀を味わっているわけで。よくまあ、ここまで残った、とさえいえます。

 問題は、400年も前のものだけに、「本当に永徳が描いたのか?」と疑問符が付くものが大半になってしまったこと。さらに輪をかけて厄介なのは、永徳がその生涯の間にかなり作風をガラリと変化させていることがあります。まあ、どう考えても「洛中洛外図屏風」と「檜図屏風」が同じ絵師の手によるものとは思えんわな(^^;

 「伝狩野永徳」って作品がずいぶんありましたけど、やっぱり私には永徳の作品には思えませんでしたよ。まあ、そういうモヤモヤした部分があるのも、謎の絵師っぽくて魅力なのではありますが。

 永徳って人は、日本史の教科書では金箔を使いまくって豪華さを演出し時の権力者に気に入られた御用絵師、という感じの書き方なんですけど、本物を見るとやはりすごいと心打たれるところは確かにあります。なんだかんだいって、当時の最先端を突っ走った前衛画家であることは間違いないのですから。

 個人的には、怪々奇々と評された晩年の傑作「檜図屏風」と代表作中の代表作「唐獅子図屏風」がやはり抜きん出て感じられました。「唐獅子」、話には聞いてましたけど、歴史の教科書で何度も見ましたけど、やはり本物の巨大さを見ると絶句。こんなにでかかったのか!
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2007年08月11日

「中村宏|図画事件1953-2007」

 昨日見てきたんですが…ああ、こりゃ大変だ。この夏は愛知で「宇宙御絵図」と「図画事件」の2本立て。東海のアートマニアは頭が破裂するかもしれん。あたしかさんには、この2展をおススメしておいたんですが、これ、ふたつ一気に見るとはっきり言って気が狂うよ。

 中村宏の作品はあちこちで見かけていたにもかかわらず、それを中村宏だと認識することがなかった私。たしかにこれが初めてのまとまった回顧展のようだし、個人名としての中村宏は、それほど広く浸透していないのかもしれない。しかし、「砂川五番」も「一つ目小僧のセーラー服女子高生」も、確かにどこかで見た記憶はある。間違いなく露出度は高い人です。まさか「夢野久作全集」の装丁までやってるとは思わんかったよ。

 何が驚いたって、これ、全部一人の個人の仕事か!ってこと。ドキュメンタリー絵画の代表作たる「砂川五番」といい、「観光絵画」といい、それぞれ美術史に燦然と輝く傑作なんだけど、まさかそれらが同じ人の仕事とは思いもしなかった。それぐらい作風が違う。こうしてまとめて見ると、確かにタッチは一貫してるんだけどね。

 そして、まとめて見たときに驚くほど最初から個性が完成されてて、何をやらせても最高の仕事をしてしまう。しかも次々と新しいテーマに挑戦していく。そうですねえ。共通点としては、とてつもなくインパクトがあり、エロくてグロくて、抜群に洗練されてる。そしてなによりおそろしいほど絵がうまい。まったくなんて技量だ。

 ふつう、画像の再現力が悪くて、図録を買うことは少ないのですが、今回ばかりは買ってしまいましたよ。普通の単行本サイズで黄色と黒のストライプに染め抜かれた画像が実にかっちょいい。図録は置いておくのに困るもんですが、これならいつでも取り出してニヤニヤと眺められる。見たらぜひ買い!です。彼の過去のグラフィック集成「図画蜂起」もぜひ買わなくては。

 何がそんなに、と思う方はぜひ公式サイトを見るべし。公式サイトも本当にかっこいいんですから。

http://www.zugajiken.jp/

 あ、これは東京展の時のものだけどね。今は名古屋市美術館で展示中。とにかく見るべし!

http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2007/nakamura/index.html
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2007年08月08日

「シュルレアリスムと美術」「宇宙御絵図」

 ひさびさのアート記事です。たぶん、名古屋に来てから見たアート企画の中では、ベスト級だと思う。愛知の美術館はなかなかシュルレアリズムが好きなようで、先日、岡崎のコレクションをご紹介したばかりですが。↓

http://tenchyo.seesaa.net/article/42957313.html

 こちらは、また別の味わいがあっていい。なんといっても、マグリットの代表作「大家族」が見られるわけだし。前回のコレクション展がビギナー向けにオールスターキャストでどどーんと見せたのに対して、こちらはやや通向け。代表作からややベクトルを外した通好みのものが多いです。まあ「大家族」はさすがに代表作ですけど、「み締めるほどに味わいが増す」通好みっぷりが現れているのは、前回の「白紙委任状」よりは「大家族」という気がしますよ。個人的偏見かもしれんけどね(^^;

 特にこちらは、黄金期のシュルレアリズム作家にこだわらず、その後の「シュルレアリズムの子供たち」にもスポットを当てているのが魅力です。ボイス、ボルタンスキー、ベーコンに奈良美智、やなぎみわ…といった具合。

 http://www.museum.toyota.aichi.jp/japanese/index.html

 この展覧会、全国を巡回中ですが、できればここで見てほしい。なんでかというと、今回の会場となっている豊田市美術館、エリア全体がインスタレーションと化したとてつもなくゴージャスな展示空間なのです。建築と不可分の一体となったインスタレーション作品が会場のあちこちに。

 そしてその空間を最大限に利用したもうひとつの特別展、それがマニアによるマニアのための…というべき超マニアック企画「宇宙御絵図」。夏休みの美術館企画というものは、子供にも現代アートを楽しんでもらうべく、敷居の低い楽しい企画が満載だったりするものなのですが。これはもう大マジで超硬派。ある意味電波がかってて、この人たち大丈夫かと心配になってきます(笑)なにしろ「簡単に分かるようなものは置いてない」と館長が豪語する敷居の高さ(^^;

http://www.museum.toyota.aichi.jp/japanese/index.html

 近年では現代美術に対する理解も進んでしまい、よっぽどとっぴなことをしても「あーなるほど」とか「ふむふむ」と受容されて終わってしまう。それなのに、ここまでヤバい空気をビンビン感じるヤバい空間演出というのはダテじゃない。あの河原温にこんなにもヤバい側面があったとは驚きです。

 こちらはここに来ないと見られない。ある意味、もうひとつの「シュルレアリスムと美術」展を軽く吹き飛ばす強烈なインパクト。これ、豊田市美術館の「展覧会三部作(何だそれは)」の完結編なんだとか。知らなかったことに地団太を踏みます。あとのふたつも見たかった…
 とにかくマニアックで超不親切。かなりランダムに展示されているので、注意深く見ていかないと、必ず何点か見落とすからご用心。巨大な展示空間の天井近くに掲げられた小さな額を反対側の踊り場から双眼鏡で見ろ、とかね(^^;とにかく強烈な体験を望むのであれば交通費とか時間とか四の五の言わずにとっとと来い、という感じでしょうか。来ないと絶対後悔するから。
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2007年05月26日

シュルレアリスム展

 キュビズムからシュルレアリスムへ、というわけで、またまた個人的に思い入れの深いジャンルの特別展です。ある意味シュルレアリスムは、私のなつかしい青春の思い出。その後、ダダイズムへ関心を移行させていくことになりますが、やはりなんといってもきらびやかな巨匠総出演、年末顔見世興業的な豪華なラインナップは、他の前衛芸術運動では考えられないこと。個々のキャラクターの立ちっぷりも、シュルレアリスムならではですよね。

 ブルトン、エルンスト、カンディスキー、マン・レイ、マグリット、デルヴォー、ミロ、ピカソ、キリコ、アルプ、デュシャン、タンギー…

 これらの作家が全員集合。それだけですごい。本当、顔ぶれをひとつひとつ思い浮かべていくだけでワクワクするし、みんなはっきりと他と違う確固たる顔を持っているのがすごい。今回は、ひさびさにその「シュルレアリスムとはなんだったのか」ということを再検討してみようという試み。このために、日本各地に散らばる美術館5館が結集しました。今回集められた120点はすべて日本の美術館のコレクション。それだけでここまで贅沢なコレクション展ができるということに絶句。

 何に驚いたって、マグリットの代表作中の代表作というべき「白紙委任状」を宮崎市美術館が持っていたということ。ベルギーにあるものだとばかり思ってたよ。

 そして、今回の巡回展で中核をなすのが、この岡崎市美術博物館のコレクション。こんなすごいもの持ってたのか。全然知りませんでした。そういう意味でも発見の連続でしたね。

http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/exhibition/exhibition.html

 そして、とりあげないわけにはいかないのでイヤイヤ(笑)紹介されているダリ。「世俗的成功を収めた」とか毒のある説明文でもわかるとおり、まあ、本当は大した画家じゃない。彼の描いているものは文字通りの即物的な「夢」でしかないですからね。

 「夢」を踏み台にして現実を変容する難解な装置を組み立てようとしたマグリットは、似ているようでいて正反対。今回、そのすごさを改めて実感しましたよ。うん、やはりマグリットだな。ダリに謎はないけど、マグリットには謎だけがある。

 ちなみに今回の巡回展、このあと、山梨、宮崎、姫路と巡っていきます。田舎ばっかりだけど(^^;お近くに来たときは、ぜひ足をのばしてみることをお勧めします。本当、豪華なんだから。
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2007年05月10日

グレゴリー・コルベール「ashes and snow」

 郵便屋さんがまだ来ないので(笑)本日も、GWに東京で見た展覧会の話をば。


 東京・お台場にコンテナを積み上げて仮設美術館を作り、そこで作品を展示する、というカナダ出身写真家グレゴリー・コルベールの作品展。予備知識はぜんぜんなかったのですが、印象的なチラシの写真に引かれて行ってきました。こちらのHPで雰囲気はつかんでもらえるでしょうか。

http://www.ashesandsnow.org/jp/index.php

 出し惜しみすることで人工的に神話化を試みる姿勢はマシュー・バーニーと近いものを感じますが、あれほど安っぽくはないです。まあ、見てのとおりとことんローテクで、それほど無駄金が注ぎ込まれている様子はない。ただ、膨大な時間は費やされているんだろうなあ、という感じはありますが。デジタル技術を使わずに動物と人間の共存を描く、というのはともするとかなり安手のエコロジー思考に流れがちなのですが、「体育会系」のひとことで言い切れるバーニーと違って、確かに「エコロジー」だけでは割り切れない何かがここにはあります。何なのかというとそれはどうもよく分からない。ひょっとすると、作り手であるコルベール自身、よくわかっていないかもしれない。
 「言葉にならないものを言葉なしに見せよう」という姿勢は、いささかイノセントすぎる気がしないではないですが、誠実ではあります。その姿勢が、結構素直に感動できる仕掛けとなっているのかもしれません。

 1900円という入館料、少々高いなあ、と思っていたのですが、写真だけでなく、
7分の短編2本、60分の長編一本の映画エンドレスで上映されており、これをちゃんと全部みて、ようやく元が取れる仕掛け。特に60分の長編は呆然とする迫力で、一度体験しておくことをお勧めします。まあ、めったに見られるものでなし、来月末までチャンスはあります。よかったら、ぜひどうぞ。
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2007年05月09日

「異邦人たちのパリ」「日本美術が笑う」

 GWを利用して、東京で日帰り美術ツアー

 本当は「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が主目的だったんですが、これがとんだ食わせもの。確かに「受胎告知」はすごいもので、これが間近でみられるのは結構感動です。ただ、それ以外の作品はほぼすべて複製。展示方法もゴチャゴチャしてひどく頭に入りにくいし。これで1500円は高いだろう〜いまから「行こうか」と思っている方には、まったくお勧めしません。

 むしろもうひとつの主目的「異邦人たちのパリ・ポンピドーセンター展」が圧巻でした。国立新美術館は実にバブリーな建物で、不快な気分になりますが、そこに集められた膨大なコレクションは確かに圧巻。ミロとかピカソとか、誰でも知っているメジャー級もたくさんありますが、それはポンピドーの膨大なコレクションのほんの一部でしかないことを改めて実感。日本で紹介されている作家なんてほんのひとにぎり、ってことですよ。しかしじゃあそれ以外はつまんないのかというととんでもない。むしろ強いインパクトを受けたのは日本では知られざる作家たち。

 本当に反省させられましたよ。ブラッサイとかイジスとかポール・ストランドとか、ご存知ですか?不勉強にも私はまったく知らなかった。いずれも、第2次大戦前から50年代ころに活躍した写真家たち。日本で写真が芸術として注目されるようになったのはここ最近のことですが、ポンピドーは本当に昔から地道に集めてるんですねえ。

 カメルーンとか、ハイチとか、第3世界のアートへの気配りも忘れないのがうれしいところ。ピカソからこういう最前線までひとつながりになっているのが、ポンピドーの厚みなんでしょうね。

 あ、でも個人的には、小学生のとき教科書の図版を模写までしたカンディスキーの「相互和音」を生で見られたのが一番の感動だったかも。やはり本物はいい。どんなにテクノロジーが発達しても、やはり現物の迫力に複製はかなわない。もちろん、写真やビデオは複製芸術ですが、作家のコントロールが十分に効いた美術展で見るのは、また別の経験ですよね。

 そしてもうひとつ。なにかとお騒がせな六本木ヒルズで開催されていた「日本美術が笑う」「笑い展」の2本立て企画展。森美術館は、開館記念展「ハピネス」を見に行って、そのあまりにバブリーな軽薄さに80年代の亡霊を見たような気がして辟易したものでした。だからぜんぜん行く気はなかったのだけど、偶然タダ券が入手できたので行くことに。

 いやあでも行ってよかった。金にあかせて、とはいえ、かきあつめられた膨大な展示には本当に圧倒されました。「日本美術が笑う」は、古代の埴輪にはじまり、若冲、大雅、蕭白、芦雪とおなじみの奇想派日本画がずらり。豪華きわまる図録を見ているだけで、その迫力と楽しさは理解していただけるはず。森ビルに行ったらぜひ購入することをお勧めします。

 そしてもう一本、「笑い展」こちらは現代美術のユーモア系作品で固めた展覧会。赤瀬川原平やらフルクサスやらマーティン・ランドやらのビッグネームだけでなく、近年の作品まできめ細かに収録し、現代美術の楽しさとは、「笑い」とほぼイコールなものなのだなあと実感した次第。作り手によって爆笑・冷笑、微笑と温度差はあるけれど、何らかの形でユーモアを取り入れているのが現代アートなんじゃないか、と思ったり。

 そうですね。個人的には、相田誠の「ビンラディンを名乗る男からのビデオレター」でしょうか。コタツに入って日本酒を飲みながら「テロリストやめました。いま日本でアーチストやってます。さがさないでください」と片言で語る相田誠に大爆笑。うわ、シャレになってないぐらいそっくりだよ(笑)

 ともかく行けども行けども終わらない膨大な展示で、さすがに最後は疲れました。さすがバブルの殿堂(笑)でもまあ、これでチケット1枚で入れるというのは安いですね。今回は結構マルでした。
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2006年11月03日

「藤本由紀夫展−ここ、そして、そこ」

 名古屋来訪の折、現代美術仲間のあたしかさんにお勧めした展覧会。その後、当方もすぐ行ったのですが、紹介する時間がとれず、ズルズルと会期末まで来てしまいました(^^;まあ、例によって内容についてはあたしかさんが詳しく書いていらっしゃるので、当方は私的な話を手短に。

公式サイト http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2006/fujimoto/index.html

 藤本由紀夫、といえば「音」をテーマとした非常に変わり種の彫刻家ということになります。本来形にはならない「音」をどのようにして有形化していくか…というのがひとつの見どころになるわけで。

 結果として、彼の作品の大半は、美術館自体を大きく巻き込み、展示方法に工夫をこらした「インスタレーション」的なものが多くなります。つまり、同じ作品でも、展示されるたびにまったく別のものとして受け取ることが可能になるわけです。

 個人的に彼に強い思い入れを抱くきっかけになったのは、昨年まで兵庫の大谷記念美術館で年1回、1日だけ開催されていた「美術館の遠足」というプロジェクトのせい。

 年に一度、美術館のあちこちに藤本作品が隠しこまれ、観客は宝探しをするようにしてふだんは入ることのできない倉庫や事務室、ボイラー室にまで入り込んで探しまくる。そんな風にして、いろんな場所で聞く「藤本サウンド」がまた、実に印象的だったりするわけなのですが。

 今回は、その展示をふまえ、展示ケースを解放してその中に入ることができるようにしたり、2階は展示スペースをすべて封鎖して廃墟のような空間に設置したりと工夫を凝らしていたのが興味深いところでした。その多くの作品が大谷で見ていたものであり、どちらかというと「なつかしい」印象が強かったのですが、唯一の未見作品「歌うデュシャン」は、マルセル・デュシャンの講演テープ音楽を付けて、強引にデュシャンに歌わせてしまったという前代未聞な作品。さぞあの世のデュシャンもにやりとしていることでしょう。なんかぼんやりとデュシャンの「歌」に聴き入ってしまう、実にナイスな作品です。これを、一階と二階の中間の踊り場に設置する藤本氏のセンスというのが、実にうなってしまうんですけどね。
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2006年10月20日

「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展

 怒涛の秋の新番組もひと段落ついて、ようやく隙間ができました。というわけで、かねてからの懸案であったこいつをご紹介。すでに現代アート仲間のあたしかさんのところでは紹介されています。

 http://blog.livedoor.jp/yami_yahma/archives/51132808.html

 展覧会の詳しい内容についてはあたしかさんのところを見ていただくこととして。現代美術ファンとしては、若冲はやはり特別なビッグネーム。江戸時代にたったひとりで孤軍奮闘してとんでもない現代アートの先駆というべき超個性を発揮していた…と今まで固く信じていたわけですが。

 今回のプライス氏のコレクションを見てよくわかったのは、必ずしも若冲が突然変異的な超変り種というわけではなく、「江戸奇想派」とでも言うべきアヴァンギャルドな画風が確固として存在していたということ。もちろん、若冲がその中でも突出してとんでもない才能の持ち主であったことは言うまでもないのですが。
 驚くべきは、その「江戸奇想派」というべきスタイルが、日本美術史からは完全に抹殺されていたということ。応挙、北斎、写楽、そして狩野派。そんなあたりが日本画の表の歴史を形成するものとされてきたわけですが。それは江戸絵画の芳醇で壮大な世界のごくごく一部でしかなかったわけです。そのことを我々に知らしめてくれたプライス氏には感謝しないわけにはいかない。まだ目撃していない方は、ぜひ美術館に急ぐべし。これを機会に実にすばらしいコレクション画集も刊行されましたので、一度開いてみてください。

 というわけでこの話題騒然の展覧会はこの夏から全国を巡回中。夏コミ時には東京展を偵察し、所用で関西に戻った際に、京都展も見てきた次第。このあと年末には福岡を巡ったあと、春先には名古屋にも来る予定になっています。もちろん名古屋展も行きますが、こうなると福岡展も気になるなあ…ちょっと遠すぎですが(−−;

 まあいくらファンとはいえ、同じ展覧会に何度も何度もリピーターとなることはそんなにないわけで。今回は確かに特別。もちろん、展示数が膨大で期間中展示替えもあり、一回で見切ることができないこともありますが。それ以上に、「展示方法」が重要な展覧会であり、各美術館の「見せ方」によって大きく変わってくることが考えられるからなんですね。

 今回、プライス氏が貸し出しにあたって出した条件がひとつ。

「光線の加減によって大きく見え方が変わる日本画の魅力が引き立つような形で展示してほしい」

 というものでした。

 東京国立博物館の展示法はというと、場内を暗くして、数十秒単位で照明を明るくしたり暗くしたりする、というもの。

 なるほど。まあ、それでも日本画ならではの微妙な変化は確かにわかるんだけど。なんかイキじゃないですよねえ。無粋だ。

 これに対して京都近代美術館のとった手はというと…
 あくまで自然光にこだわり、大きく開けた一階ガラス窓に障子を取り付け、その明かりだけで見せる、という展示。

 なるほど、イキです。これは粋。まあ、その日の天候に大きく左右されるわけで、本当に変化を知ろうとしたら、何度も来ないといけないんですが(笑)本来の見方としては、こちらが正解ではないかな。東京はやや考えすぎ。はてさて名古屋はどうするか…今から楽しみです。
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2006年09月14日

「愉しき家」展

 愛知県美術館の夏休みオリジナル企画。10月1日まで開催中。夏休みってオリジナルな企画に意欲を燃やす中小美術館が多いわけですが。夏休みが終わってから行くのもどうかと思いますが(^^;実は招待券をもらってしまったので、行ってきました。あと3枚余ってますのであたしかさん、どうですか(^^;会期末間際になってアレですが(笑)まーだから券余ってるんですけどね。ちなみに、名古屋京都間は、昼間の高速バスを使うとお安く行けます。私はよく活用しております。往復4000円。ただし、片道2時間半かかります。新幹線ならたった40分なんだけど。現在、名古屋市美術館で藤本由紀夫展もやってるので、こちらもハシゴするとお得です。こちらも近いうちにご報告する予定。

それはそうと「愉しき家」展の公式HPはこちら。

http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html

 なぜ家?と見る前は思っていたんですが、現代アートの通好みな顔ぶれがそろってみると、「家」という普遍的なテーマは結構便利でよかったかもしれません。時に因習的で打破すべき旧体制としての「家」という側面が一方であり、その一方で自らのプライベートな空間という側面もある。放っておくとすぐバラバラになってしまう現代アートをたばねるテーマとしては実はもってこいだったということですか。見る方としても、ごくありふれたなじみ深い題材があるというのはありがたい限り。子供にだって楽しめるだろうし。なるほど、夏休みに企画するだけのことはあったわけです。

 今回の出品者の顔ぶれでは、実はよく知っているのは、やなぎみわだけだったりするんですけど。しかし作品を見ているとその渋さはなかなか。小林孝亘のようなほのぼの牧歌型マイホームは少なくて、割と社会派テイストの作品が多かったのが意外で面白かった。

 展示スペース内に小型テントを張って、テントの外で繰り広げられる不条理なパフォーマンス映像を投射した、やなぎみわもさすが手馴れたもんでした。ある意味、家という閉じた空間における老人と子供の世代間闘争の物語を、童話のパロディとして描いているところが、この人らしい。

 ゴードン・マッタ=クラークの前衛映画「断層」は、70年代の制作。こんなのあったのか。ぜんぜん知りませんでしたよ。再開発で消え行く住宅地で、家の外壁にノコギリで切れ目を入れ、外光を部屋の中に取り込むプロジェクト。本当に大変だったろうに、ケーキナイフで切ったみたいにキレイにまっぷたつに切れ目が入っているラストシーンがすごい。自然と人間、再開発の美名のもとに消え行く古い暮らしといったものが、最終的にこの切れ目に集約されてしまうのが驚くべきところ。

 しかしながら今回もっとも印象深かったのは、反グローバリズム的な小消費・小集団・小生産を掲げた、デンマークのゲリラ型アーチストグループ「N55」。これがなかなかかっちょ良かったです。円柱型でごろごろ転がっていく「小住居」や道路に積んだ土嚢で農作物を育てようという「小生産」など、「生き方」そのものを覆す手段としてのアート。まだまだアートにはいろいろなことができるんだということを実感しました。

 愛知県美術館のゆったりとした空間を生かした限りなくインスタレーションに近い展示がうれしいところ。時間がある方・興味のある方はぜひ、当方までご一報ください。
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2006年08月05日

藤田嗣治展

 なんか終わってかなりたってるんですけど(^^;どうもすいません。現代アート仲間のあたしかさんに薦められて、実は「拘束のドローイング」見に帰阪したときに見てました。

 とにかくコミケ準備であんまり余分に書き込んでる余裕がなくて、ズルズル伸びて今になってしまった次第。まだコミケ作業も途上なので、ごく短くなりますがご容赦を。

 くわしいことはあたしかさんのブログを参照していただくこととして。

http://blog.livedoor.jp/yami_yahma/archives/50953798.html

 確かに、常に人気作家であった割には、不思議とまとまった回顧展がなかった人のようで。会場はオバさんで充満状態。何だこりゃ。とにかく時間もあんまりないので、オバさん方の肩越しにのぞきこむように見ましたよ。

 あたしかさんも指摘しておられる通り、大作である戦争画は、国威発揚という大義名分からハミ出したアイロニーや西欧神話的解釈が確かに今見るとおもしろい。これが国威発揚に役立ったかといえばはなはだ疑問ではありますが。

 ただ、では藤田嗣治の業績がこれだけに集約されてしまうのかというと、それではちょっと哀しいわけで。

 たとえば青年期のエコール・ド・パリ時代。まあその美術史的価値についてはあたしかさんの的確な分析を読んでいただくこととして。

 個人的な感想でいえば、画題的には模写や裸婦など、あまり面白みがない。ただ、何を描いても、「萌え絵」っぽい感じになってしまっていたのが面白いと思いました。モトネタの絵より「萌え」度が高いんですね。これがあたしかさん言うところの「近代日本人の視点」というやつかな?(違う)

 なお、あたしかさんも「頭を抱えた」という晩年の作品群。私は実は結構楽しかったりしました。何か「傑作を描く」という気概はとっくにあきらめて、モンティパイソン的な(というかテリーギリアム的な)ドタバタの中に遊び呆けた晩年。こういういい加減な世界観って、実は結構楽しかったりして。まあ、まちがっても美術史には何も残らない仕事ではありますけどね。
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2006年07月18日

拘束のドローイング9

 えーというわけで、大阪は九条のシネヌーヴォで開催中のマシューバーニイ作品連続上映。金沢でもサンフランシスコでも見られなかった「拘束のドローイング9」。ようやく見ることができました。痺れるような大傑作!…と言えればよかったんですが、別にそういうわけではないです。というか、今までもちょいちょいと書いてきましたが、それは分かってて見に行ってるわけで。ツッコミどころ満載で巨額の無駄金が注ぎ込まれた超大作をケラケラ笑いながら見てました。

 現代アート仲間のあたしかさんがいみじくも指摘しておられるとおり、マシュー・バーニイという人は米では現代アート界のスーパースターという扱いですが、どうみてもただのアホ。自分が天才だと思い込んでいるけど、実は趣味が特殊なだけだという(笑)あたしかさんが指摘しておられるとおり、バーニイという人は涼宮ハルヒそのものだといえそうです。ただハルヒが劇中で撮りあげた「朝比奈ミクルの冒険」が貧乏学生映画のセコさをすべて備えた典型的駄作であるのに対して、バー二イはほぼ同じノリの世界をすさまじい巨額の費用で撮ってしまった。だからいわゆる技術的アラはないけれど、世界観はヘンテコなまま。そこが余計におかしい。

 DVDの発売予定はないそうですが、DVDのコメンタリートラックで、延々全編ツッコミを入れまくったバージョンを作ってみたいと思いました。そう、「朝比奈ミクルの冒険」が、そのまま単体ではただの駄作なのに、ヒョン君のツッコミナレーションのおかげでナイスな怪作に化けしまったように。とにかくもう、全編

「ツッコミたい、ツッコミたい、ツッコミたい…」

と念じながら見てました(^^;

 それにしても無駄に注ぎ込まれた巨額の制作費にはあきれるばかり。ふつう、ハリウッド大作というのは、みんなが喜びそうなものを無節操につなぎあわせてバカにされるわけですが、こちらはとことんバーニイが喜ぶものを実現するためだけに天文学的な予算が組まれている。

 これで大規模に劇場公開するとか、DVDで発売するっていうんなら分かるんだけど、ごく小規模に出し惜しみするように公開されるだけ。DVDも発売予定ナシっていうんですから、出資者は安くないであろう投資をなぜ承諾したのやら。

 もちろん、自分の頭の中の独自のイメージを具体化する、というのは、アーチストとしてごくまっとうであるし、そのイメージが独創的で人を驚かせるものであるのなら大歓迎。クリストのようにアートプロジェクトの費用をすべてポケットマネーでまかなう超太っ腹な人もいますけどね。そのクリストなんかは、「モノを包む」というごく単純な行為の中に、実にいろいろなイメージを重ね合わせてくれる。

 んで、バー二イはどうなのかというと、これがあっけにとられるほど子供っぽい。今回の「拘束のドローイング9」がなんなのかというと、

「ぼくがかんがえたニッポン人」

という感じのノリ。ほとんど「僕が考えた怪獣」の世界です。「怪獣」だったら、想像の世界だからまあいいんですけどね。「日本人」は実在してますから。あんまり無責任に想像力をはばたかせるのもどうかと(^^;

 で、もしすごく独創的だったらアリかもしれないけど、内容は今時恥ずかしいコテコテの「フジヤマゲイシャ」。日本に行ったことのないアメリカ人の小学生の男の子に日本の絵を想像で描かせたらでっかい富士山の下でゲイシャがウロチョロしてる絵になってしまう、そんな感じのノリ。

 たぶん発想の発端は

「ぼくの奥さんってゲイシャっぽいよね」

とかいう、バーニイのアホな発言であったのかもしれません。化学実験に失敗して爆発した芸者(それはどんな状態だ)のようなケッタイな髪形とケッタイなメイクのビョークが出てきます。あれなら、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でロリ眼鏡っ娘ビョークを描いたラース・フォン・トリアーの方がずっといい。

 それにしてもこの無意味な超大作のために引っ張り出された無数の日本人出演者こそはまことにお気の毒で、実際、何を考えていたんだろう。石油コンビナートの狭間を無音で踊る阿波踊りの面々とか、巨大捕鯨船「日進丸」をチャーターしておきながら、わざわざ甲板の上で生理ナプキン形の巨大プリンを作らされた船員さんたちとか。

 で、最後には船上での「結婚式ごっこ」の末に、バーニイとビョークが「心中ごっこ」をして幕。短刀でお互いの胸をぶっすり刺しておしまい、ならまだよいのですが、身体を端からチマチマ削りとり合うという、実にイヤな展開(−−;

 なんか叩きまくってますが、実は見ている間は実に楽しかった。ここまで子供っぽくてバカな世界が超大作として実現しているのを、ツッコミながら見るのは結構退屈しません。だって、ビョークの背中に孔があって、クジラみたいにシュバッて潮吹くんですよ。おまえ、それ絶対に思いつきでやってるだろ(^^;!
posted by てんちょ at 15:40| 愛知 ??| Comment(3) | TrackBack(1) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月27日

キトラ古墳の白虎

 もうずいぶんと時間がたってしまいましたんで、とりあえず手短に。

 実は私は奈良育ちの人でして、小学校3年生から大学卒業まで、ずっと奈良の実家から通ってました。そんなわけで、いっぱしの歴史マニアとなり、史跡探索も好きでした。特にある意味SFチックなテイストも併せ持つ明日香村は大好きで、何度も行ったもんです。就職後はすっかり足が遠ざかっていたけど…

 そんなこんなで、本当にひさびさの明日香行でした。実は名古屋から行く時は近鉄特急の方がだんぜん近い。正味2時間で橿原神宮前に到着。結構お手軽かも。大阪から奈良に行くのって実にメンドかったのですが、これは便利でした。

 そこからバスで15分ほどで白虎壁画を展示している飛鳥資料館に到着。行ったのは火曜日。その前の日曜日には2時間待ちもあったそうですが、平日はそんなこともなかろうとタカをくくってたら甘い甘い。世の中はヒマな中高年でいっぱいなのです。なんと90分待ちでした。

 しかしなかなか工夫してくれててて、行列待ちが常設展示の中を通っていく仕組み。おかげで退屈せずにすみました。一番最後に特別室で「白虎」とご対面。これが最初で最後のチャンスかもしれないし。古墳壁画を見るなんて初めてのことだし、期待にドキドキ。

 なんかキトラの壁ってボロボロの印象だったので、予想以上にキレイな壁面に驚きました。色も鮮やかだし。え、これ模型じゃないの?本物?そういう意味であっけにとられてしまった。でも筆運びの迫力は本物ならでは。はるばる見に来てよかった。やっぱり高松塚よりこっちの四神の方が好きだなあ。

 ただ、本当は一番見たいのは朱雀なんですよね。まだ石室内に残されたままなんだけど。うーん。いつか見たい。
posted by てんちょ at 02:32| 愛知 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

ぷろだくしょん我'S展

 名古屋に来てはじめて見たギャラリー展がこれ。現代美術仲間のあたしかさんへの報告の意味も含めて、ご紹介。

 て、言ってももう終わってしまったものですが。まあ資料的意味も含めまして。ある意味、それぐらい貴重な展示でした。

 ぷろだくしょん我'S−知られざるイベント集団活動の軌跡
4月19〜29日/Gallery Cellar

 前衛芸術運動華やかなりし60〜70年代、関東・関西だけでなく名古屋でも独自のグループが存在したことが知られています。関東の「ハイ・レッド・センター」、関西の「具体美術協会」に対して名古屋では「ゼロ次元」「我'S」の活動が知られていました。ところが、回顧展というべきものはその後ほとんど行われていない。なぜかというと、具体美術協会以外のすべての前衛芸術運動と同様、この2グループもごく短期間で解散し、資料がほとんど残っていないからです。

 今回の展示では、数少ない当時の展示物を発掘し、さらには当時の報道資料やグループ内の企画メモから、立体的に活動を復元してみようという試み。狭いギャラリースペースにびっしりと並べられた資料がなかなか充実していて、普通のギャラリーのように「5分鑑賞」とはいきません。じっくりと見せていただきました。

 で、我'Sは「空気人形で映画館をいっぱいにするプロジェクト」や「名古屋名物地下街にアルミ風船をばらまくプロジェクト」などハプニング系の表現で知られています。そして実は意外に好評を博した「週刊週刊誌発行プロジェクト」。

syukansi.JPG

 ご覧の通り、情報が一切ない真っ白週刊誌。中身もまっ白、今ではそう珍しくないですが、当時はかなり斬新であったはず。とはいえ、こんなものがそうそう売れるはずはない、と考えてしまう我々は甘い。

 なんと毎週1100部を発行、半年間にわたり実際に名古屋市内の書店で販売し、毎週かなりの部数を売ってしまったというのだから驚きます。大手同人誌も真っ青な戦果。名古屋タイムスの社説にも取り上げられ、各紙の取り上げ方も好意的。

 前衛芸術って、当時社会の大部分は無理解で、赤瀬川源平の「一万円札拡大模写」のように、「いかがわしい連中」と白眼視されていたとばかり思っていたのですが、必ずしもそうでもないらしい。我'Sが特にマスコミの扱いがうまかったということかもしれませんけど、この愛され方はなんかすごい。おかげで、当時の熱気が読み取れるのはありがたいことですけどね。

 「週刊週刊誌」は1部70円。確かサラリーマンの初任給が1万円のころですから、少なくとも今の物価にして700円はする高価な週刊誌でした。それが大半は「固定ファン」によって支えられていたというのだからものすごい。会場には「週刊週刊誌」が飾られ、空気人形たちがそれを見ているという、なかなかイキな展示構成。ギャラリーに入って一瞬、

「おーいっぱいいるなあ」

と思わず勘違いしてしまいましたよ。

 それにしても当時の報道によると、そのころの読者は真っ白なページを火にあぶったり、日にすかしたり、自分で何か書き込んだり、薄目を開けて眺めて「ヌードが見えた」と喜んだり、積極的に参加していたらしい。何かうらやましいなあ。

 会場でも1部5000円で「週刊週刊誌」の在庫を売っていましたけど、今、これを買った人がそこまでやるかというとそれはないわけで。パラパラとめくって「なるほど白いなあ」と確認したうえで、あとはしまいこんでしまう、というところでしょうか。前衛芸術も認知されましたけど、そのぶん、生活の中で占める割合は小さくなってしまったかも。何かさみしいですね。
posted by てんちょ at 14:12| 愛知 ??| Comment(2) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

「エルンスト・バルラハ展」&あたしかさんとオフ

 ようやく引越し作業もひと段落。あとは直前作業だけ。というわけで、京都で懸案の「エルンスト・バルラハ展」行ってきました。

 ナチの前衛芸術弾圧については非常に興味があってかなり調べたので、実はこの作家については結構知っていたのですが、日本ではまったくと言っていいほど無名。そのあたりについては、「球根栽培法」のあたしかさんの記載に詳しいのでそちらを見ていただくこととして、

http://blog.livedoor.jp/yami_yahma/archives/50600122.html#trackback

私はやはり個人的な感想に絞って書くことにします。芸術論ではあたしかさんに勝てないし(いや、別に勝たなくてもいいんだが・笑)。

 バルラハといえば有名なのは木像彫刻なのですが、今回の展示は初めての回顧展、ということで初期のデッサンから編年単位で版画やポスターなど幅広い活動が紹介されています。それで何より驚いたのが、この人は最初から途方もなく個性的だった、ということ。これはもう唖然とするほかありません。ごく初期のスケッチ画でもすでに独特の重厚なタッチが完成されていて、一枚の絵として非常に魅力的なものとなっている。これはまさしく天才というほかないでしょう。

 どんな巨匠の絵でも、初期のデッサン画は、画力はあってもあんまり面白いものじゃない。それがバルラハの場合は最初からまるっきりあのまま。これは相当にすごいことだと思います。逆に生涯を通してほとんど作風は変化していない。

 で、生涯を通して一環して見られたのは、社会的弱者への温かいまなざしであったのではないでしょうか。ロシア時代に写し取った貧農や乞食の像に既にそれは表れていました。木目を生かしたゴツゴツした質感の表現は、確かに時代を超えて伝わってくるものがある。だからこそ、ナチスはこの人のことを許せなかったんだろうな。

 生涯を通じて人生の辛く苦しい側面ばかりを見ずにはいられなかったバルラハ。ナチスの苛烈な弾圧に苦しめられた晩年に限らず、経済的に余裕があった中期でも、その人生は決して幸福なものではなかったでしょう。

 こういうことを言うと酷かもしれないけど、人生としては不幸であったからこそ、芸術家としては優れた表現を残し続けられた人だと思う。もし成功に浮かれて自分の立っていた土台を忘れ、どこぞの国の極右に転んだマンガ家のように、自分の才能を自己正当化のために使うようになっていたら、これほど時代を超えて心を打つ作品は残せなかったと思うから。

 第一次大戦に対する熱狂のもとに制作された「復讐者」など、彼がそういう方向に転びかけた跡は何カ所か実際見受けられました。でも、そうならずに済んだことは本当に良かったと思う。ドイツ的なものも強い人だけど、そういう時代背景がすっかり消え去った今、もっと普遍的な土台で日本でももっと人気が出そうな気がします。

 そんな鑑賞のあと、「球根栽培法」のあたしかさんとミニオフ会。あうたしかさん、約束の時間に遅れてごめんなさい。

 クールな文体・豊富な知識からみて、もっと碩学っぽい人かと思いきや、結構人なつこくて温かい印象でした。NHK関西まるごとお昼前のアナウンサーみたいな(オイ)。

 現代美術好きってのは少ないので、あたしかさん、今後ともよろしくお願いします。とりわけ、現代美術とアニメ並列ってのはね(^^;
posted by てんちょ at 23:58| 大阪 ?J| Comment(0) | TrackBack(1) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

パウル・クレー展

 昨日は久々に休ませていただきました。昨日は休みだったのですが、日中ひたすら引っ越しの箱詰め作業。本当、こうなると家ん中カオスだし、力仕事でヘロヘロ。こうなるとブログなんて書いてられません。

 さて、本日はそんな重労働の疲れをいやすべく、始まったばかりの「パウル・クレー展」に行ってきました。

http://www2.daimaru.co.jp/daimaru/hp/pc/museum_schedule_to2.jsp?HP_NO=14595

 実はクレーは小学校のころに図画工作の教科書に載っていた絵を見て最初に好きになった画家。最初の最初から、抽象画好き系だったんですね、私は。そんな思い出の画家との再会。普通の思い入れを超えたものがありました。以前のクレー展というと、まだ高校生だったころに見た

http://www.biwa.ne.jp/~sg-kinbi/exhibition/exhibition_database/memories/memory_85-9.html

 でもこれはずいぶんと小品が多く、回顧展と名乗るにはあまりにもお粗末でがっかりした記憶があります。そんなわけで、ちゃんとした形でまとまった量の本物に面するのは今回が初めてということになるのかもしれません。

 今回、最大の感動はそのころ図工の教科書で見た本のひとつ、「つな渡り」の現物に遭遇できたこと。展示コンセプトも非常にしっかりしていて、好感が持てました。

最初に掲げられているクレーの言葉。

「画家は見えるものをそのまま写すのではなく、見えないものを見えるようにしなければならない」

 その言葉に沿って、風景画を単純な線の集まりで描こうとした初期のデッサンを出発点に紹介していく構成は巧妙。確かに本物の自然の中に「線」というものはない。画面の中に線を見いだすのは画家のセンスということになるわけですから。

 こうして、自然を限られた少数の線に解体し、その線に囲まれた空間を独自の色で塗り分ける、限りなく数学的な画家、パウル・クレーが誕生したわけです。

 今回は「目」「ピラミッド」など堂々たる代表作が集結し、

「やっとクレーに会えた」

とまさしく万感の思い。

 しかし一番感動的だったのは、単純化に単純化を重ね、不自由な体を振り絞って描かれた晩年の作品の数々。そこに至るまでの膨大な試行錯誤の時間の蓄積があるからこそ生きる説得力なのですね。あの高名な「別れ」は涙なくしては見れないすばらしさです。遺作「ドラマー」もいつか見たい。

 今回はスイス・ベルンにパウル・クレー・センターが完成したことを記念しての展覧会。入り口でクレー・センターの日本語案内ももらえます。うーん、行ってみたくなってしまった(^^;
posted by てんちょ at 17:34| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(1) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

プーシキン美術館展

 いま、大阪で一番話題の豪華絢爛美術展。個人作家の個展としてはいくらもゴージャスな展覧会が思い浮かびますが、美術全集に収録されているような超有名作家の有名作品ばかりずらりと並べた展覧会はちょっと記憶に思い当たらない。普通、「○○美術館展」という場合は、呼び物になる看板作品が1〜2点あって、あとはその他大勢ということが大半ですよね。

 年末の歌舞伎座顔見世興行か往年の大映お正月興行か(古いね)と思わせるほどのすさまじい展開。現代美術に対する超強い思い入れと比べると、近代美術に対する執着は案外微妙。それでもまあ、最近は嗜好の幅を広げつつあるので、結構ミーハーに見に行ってみました。
 この手の近代美術はおばちゃん客満載ということが多いのですが、会場の国立近代美術館が人のさばきやすい構造になっているせいか、それほど苦労せずに済みました。

 しかしそれにしてもすごいラインナップ。入場後いきなりまずはエドガー・ドガの「写真スタジオでポーズする踊り子」ですよ。ドガといえば「踊り子」。デッサンならいくらも見たことあるし、コロンボの「2枚のドガの絵」はベスト級の傑作でありました(関係ない)。しかし今回は油彩!考えてみれば意外と油彩の踊り子を見た機会は少ない。その後もルノワールの「黒い服の娘たち」「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭で」、クロード・モネ「ジヴェルニーの積みわら」「白い睡蓮」と、美術の教科書で見たような絵が惜しげもなく登場。
 このあたりが一番おばちゃん率が高いです。うーん、日本人はどうしてこんなに印象派が好きなのか。個人的にはほとんど思いいれないんだけどね。おばちゃんたちを見ているほうが面白かったぞ。このあたりは。

 そしてポール・セザンヌ「池にかかる橋」「サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め」、ポール・ゴーギャン「浅瀬(逃走)」「彼女の名はヴァイルマティ・テイ・オアといった」。そういや、ゴーギャンの原画ってちゃんと見たことなかったなあ。と再認識。日本人大好きゴッホは「刑務所の中庭」一点だけ。これはどうでもいい。

 今回のお目当ては、実はアンリ・マティスの「金魚」。ミーハーな、と言われそうですが、マティスの色合いは画集では絶対に出ない。昨年、東京で大回顧展をやったときもわざわざ見に行ってそのすごさを再認識しているので。今回もやっぱりすごかった。ごく単純な線でグッと金魚鉢を前面に押し出す空間構成に圧倒されました。マティス原画見たことない人はぜひ見に行ってほしい。本当にすごいから。一枚でも打ちのめされるはず。確かに複製ポスターは街でいくらでも見かけますが、あれは実際の魅力をカケラも伝えてはいません。

 後は名前のみ。エドゥアール・マネ、アンリ・ド・トゥールズ=ロートレック、ピエール・ボナール、パブロ・ピカソ、ジョルジュブラック、アンリ・ルソー。

 いやーおなかいっぱいでした。これだけフランス近代絵画の大行進を見ると「ごちそうさま」って感じですが、せっかくの機会ですから、ミーハーでもとにかく行ってみることをお勧めいたします。本当、こういうのもたまにはいいもんです。
posted by てんちょ at 23:52| 大阪 ????| Comment(2) | TrackBack(1) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする