2008年06月23日

「紅」第12話

 終わりました。万感ですね。たったの12話だというのに少しも舌足らずに語り急いだところがない。本当、「狂乱家族日記」に見習わせたい。それにしてもいいんでしょうか、こんな原作に引導を渡すような結末(笑)「ツバサ・クロニクル」もこんな結末が見たかったんだけどなあ。原作者が寛容かそうでないかの違いでこんなにも変わるものかな。あ、原作者が権力大好きかそうでないかの違いか(笑)

 荒唐無稽とリアルの対決、と今までも表現してきましたけど、この最終話においては、両者が判別不可能なまでに交じり合い、混沌と化している。なんせ、九鳳院の広大な敷地をカーチェイスの末に奥の院の廊下をぶち割って紅香が登場するというメチャクチャさ。それでいて車の操作や細部の質感は恐ろしくリアルに描きこまれている。すごいなあ。まさしく松尾氏にしかできない世界。あ、でもちょっと某インド映画の「パダヤッパ−オレはいつでもマジだぜ!」を思い出してしまったかも(笑)そういうバカなカーアクションシーンがあるんですよ。しかもギャグ一歩手前で踏みとどまって、異様にテンションが高い。

 そして、今度こそは相手をねじ伏せる真九郎。それは「型なし」のケンカ拳であるがゆえに、型を熟知した練達者に効果的であったという…そういう手があったか。しかもその格闘シーンのなんとリアルなことか。まさしくリアルと荒唐無稽が渾然一体となり、まったく判別できない。

 そして、そんな混沌の中にあって、紫が出した答えがなんと外の世界と奥の院の「どちらでもない」というのが驚いた。だって原作版では相変わらず真九郎と呑気に同居生活してて「喜べ真九郎、私らは相思相愛だぞ!」とかバカ言ってるらしいのに(^^;

 要するにこのシリーズは12回こっきり、第2シーズンはありません、ということなのですね。そのあたりも原作を突き放した姿勢がすごいと思う。リアルと荒唐無稽が渾然一体となった中から出てきた「第3の道」それが紫の選択だったというわけ。うーん、そう来たかー並大抵のラストではないとは思っていたけど、まさかこういう方向に行くことになろうとは。

 あたしかさんとも言っていたんですけど、ダメオヤジにしか見えなかった蓮丈もちゃんと最後の伏線になっていて、連丈の決断が物語に結末をもたらすという仕掛け。そういう意味では、ラストの余韻の引き方など、実に見事でした。

 「原作付きアニメ」というものに関する定義を変えてみせたという点において、まさしく本作品はアニメ史に残る画期的な1本だったといえましょう。リアルと荒唐無稽に関するメタフィクション的な言及も実に刺激的。

 あ、リアルといえば、最後の最後で、ドア窓が割られた紅香の車に、律儀にサランラップが張られていたところには笑いました。なんか細かいところまで妙な気配りがけっこうおかしかったりするのも、思えばこのアニメの魅力ですねー

 松尾監督の次回作、本当に楽しみになりました。次はオリジナルがいいな。
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2008年06月16日

「紅」第11話

 いろいろな通俗アクションもののパターンを盛り込みつつも、ことごとくそれを外していく構造が見事。ポールさんが最近、パターンはずしのアニメが多いことを嘆いておられますが、これはそういうのとはちょい違う。

 たとえば「みなみけおかわり」で、春香が留学を断った理由を言おうともしないのはただの演出上の怠慢だけど、「紅」では、そのパターンをひとつひとつ批評的な視点をもって潰していくから。パターン外しには批評的視点が不可欠ってことですね。

 そもそも冒頭の「ボートでの潜入シーン」も、「今までばれずに済んだから大丈夫だろう」という根拠のない思い込みで進められるのですが…

 次の瞬間、待ち構えていた警備と一戦交えてる新九郎たち。

 「バレバレじゃないですかっ!」

 というセリフには不覚ながら笑ってしまいました。まあ、たいてい潜入がうまく行くかどうかはリアリズムじゃなくて尺数と予算の関係でしかなかったりするからねえ。さすが松尾氏。道理で紫奪還エピソードを2回に分けるはずだ。しかも普通は潜入したら一歩も引かないものだけど、今回はやたら進入と撤退を繰り返す。

 そして、覚悟をもって乗り込んだら今度は相手をブン殴れるはずだけど、それもない。2度目だからって実力の差はいかんともしがたく、やっぱりフクロにされる。

 先日、あたしかさんとしゃべった時に「二の腕の刀はいつ出てくるんだろう」という話になったんですが、いくらドツかれても出す気配はなく、一番逃げないといけない段になって動揺の余り、という感じで飛び出てくるのは「まあ、実際はそんなものかもしれない」という感じのリアリティを感じましたよ。二の腕に刀を仕込んでいる少年なんて普通はいないけど(^^;

 エキストラキャラにしか見えなかった予想外の「女中」が包丁をかざして突っ込んでくるシーンもそうですね。普通は、これでメチャクチャ強いキャラがまさかの敗北を喫するものですが、まあ、それほど荒唐無稽に強いんなら、実際はこういう風になるわなー

 さて。というわけで真九郎たちには圧倒的に不利な戦況。しかそれでも単身、再突入していく真九郎。はたして最終回は如何に?まあ、でも九宝院サイドの荒唐無稽度が上限まで行ってしまっており、作品の雰囲気は完全に真九郎たちの勝利を予感させるリアリズムな空気。

 この特異な演出を維持しつつ、いったいどこに着地させるのか。ますます目が離せない最終回、ですね。
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2008年06月09日

「紅」第10話

 うーむ。そう来たか。

 普通なら今週はもう九宝院に乗り込んでいるところだけど、紫を奪われた真九郎が、「失敗した仕事」と割り切って、次の仕事に集中しようと自分に言い聞かせるエピソード

 ふつう、この手の通俗的なアクションものでは、少女を奪われたら何も考えずに奪い返しに行きますよね。ところがそうじゃない。もし、本当にこういうネゴシエーター的な便利屋稼業が実在したら、失敗した仕事はそこで切るかもしれない。なるほど。

 真九郎は何とか立ち直ろうとするのだけど、それはあくまで次の仕事に専念して今のモヤモヤを吹っ切ろうとするため。ストーリーはあくまでそういう方向に動いていく。

 もちろんエピソードの最後では、真九郎は思い切れなくて、決死の覚悟で紫を奪還しに行くわけだけど。こういう過程を経ていると、来週の「最後の対決」はかなり違って見えてくるはず。いったん「リアル」をくぐりぬけた「覚悟」は、それなりの重みを持って感じられるんじゃないでしょうか。

 要するに、このエピソードをはさむことで真九郎=荒唐無稽/九宝院=リアルという記号が逆転した気がするのですよ。

 果たして、「殺人も厭わない閉鎖的で巨大な一族」という荒唐無稽な存在を相手に、真九郎はどんなリアルな闘いを挑むのか?次回は放映時間が15分後ろ倒し。セット時間を間違えないようにしませんとね。しくじったら来週こそ泣くに泣けん(^^;
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2008年06月01日

「紅」第9話

 本日は家庭の事情で勤労奉仕。淀川で草むしりしてきました。いやー暑い。でもまあ、久々にあたしかさんに会ってアニメ談義などして。あたしかさん、いつもどうもです。

 本日もほとんど話題の中心であった「紅」。いや、これいろんな意味で歴史に残るアニメになるなあ。アニメにおける「リアル」の意味をこれほど考えさせる作品もないし。「お約束」というものがあるおかげで見過ごされてしまう膨大な荒唐無稽な事柄にあえて目を向けてみる、という本作品の野心的演出態度には本当に感服するほかない。

 今回は、真九郎と紫が覚悟の上で五月雨荘に戻って別れの挨拶をしようとするけれど、襲撃してきた紫の兄に手ひどく痛めつけられ、紫を奪われてしまう、という筋立て。ある意味、ひどく通俗的なストーリー展開なのですが。

 その細かいディテールをこれでもかとばかりに詳細に描き出していくことによって、まったく別の意味を作り出してしまう、これがこのアニメならではの世界。四畳半での鉄板焼きパーティを非常に細やかに描いた後、九宝院の襲撃を、ほとんど北野武映画のような乾いたタッチの暴力描写で描いていく、冷徹さはある意味で意味深。

 しみじみなんとも不思議です。暴力は今までのエピソードでも何回も描かれているのに、今回ほど「痛い」ものじゃなかったわけで。普通は「最後の障害」としてその大きさを強調するために、「主人公がボコられる」シーンを入れてみるわけですが。

 ことこのアニメについては、荒唐無稽とリアルが格闘した結果、リアルが現実の強みを発揮して荒唐無稽を散々に打ちのめして去っていく…という風に読めてしまうのが実に興味深い。では荒唐無稽の側には復讐の機会はあるのか?それはたぶん次回以降。

 残るはあと3回。いったい何を見せてくれるんでしょうか。
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2008年05月26日

「紅」第8話

 遅れてますね…すいません。

 徐々に追っ手が迫る中で、紫の謎が深まる、というエピソード。近所の神社での七五三というのが妙にリアルだったりもするのですが。誰だかよくわからないオッサンを銃で脅しながらどこの神社がいいか相談する、なんて意地の悪い設定がなんともこの作品らしいといえばらしい。

 こういう違和感のあるもの同士をぶつけるのが松尾監督のたくらみですからね。

 それにしても紫の正体とは、奥の院とは何なのか。なんかびっくりするようなSFネタが出てきそうな気もしないではないですが。それをまた淡々と荒唐無稽さが際立つように見せていくんだろうなあ。

 今回は、「シーサーとシークワーサーの違い」が結構ツボでした。あそこまでベタなギャグを神妙な顔つきでやられると逆に笑える。こういうところもまた本作の味わいです。シークワーサー、すっぱいだけかと思っていたら、先日沖縄で飲んでみて結構おいしかった。柑橘類には違いないんだけど、割と後味がさっぱりしていていいですな…って何の話だ(笑)
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2008年05月19日

「紅」第7話

 というわけでこちらもネットで補完。例によってリアルな演出と荒唐無稽な設定の衝突を楽しめる展開。ある意味極めて哲学的、とも言えますかねー一回妙な展開になりましたが(笑)松尾監督一流の身体論が感じられる内容は今回も健在です。

 前半が極めてリアルな、そのへんにいくらでもありそうな環の痴情の縺れの果ての別れ話。しかも百戦錬磨と威勢のいいことを言っておきながら、いざ男に別れ話を切り出されるとてんでだらしがない。しかも紫を大学に連れ出した理由というのが男に別れ話をさせないための口実…というのだから生臭い。ああ、いるよなあこういう女の人。という感じの超リアルな触感のエピソードです。

 これに対して後半の蓮丈のエピソードは誠にもって雲をつかむような荒唐無稽な話であり、しかも内容はよくわからない。

 このふたつをならべて見せることにより、わざとこの物語の違和感を強調する演出法を果たしてどう捉えるか。まあ簡単に悪意、と言ってしまってもいいのですが、ここは、「イメージの衝突」と前向きに捉えてみたいところ。わざと正反対のもの同士をぶつけることによって、表現をハレーションさせる演出、とでもいいますか。本当、この妙な広げかたをした風呂敷をいかに閉じるのか。なんだかすごく楽しみになってきてしまったんですけど(^^;
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2008年05月12日

「紅」第6話

 あたしかさんのところでもえらく細かく語られている通り、呆然とするしかないすさまじい「四畳半ミュージカル」。なるほどここまで来るとこれは「悪意」とでも表現するしかない。「悪意」ある演出、というと我々としては真下の「ツバサ・クロニクル」が真っ先に思い浮かぶわけですけど、こちらはかなり雰囲気が違いますね。どちらかというとメタフィジカルな雰囲気。最後に登場する紅子が監督さながらにメタ的な種明かしをするというのも「らしい」というかなんというか。

 前作「レッドガーデン」から見ておられる方なら当然気付くことでしょうけど、「レッドガーデン」では最初の数話のみミュージカル仕立てで、その後はそんなことなどなかったかのように忘れ去られている(笑)まあそのあたりの雪辱という意味もあるんだろうと、邪推してみたり。そのせいかカメラワークはやたら凝っており、前話の稽古シーンに引き続いておそろしく作画枚数が多い。ここまでやるからには当然本番ステージも描くんだろうと思っていたら、最後までやたら狭い五月雨荘の中での「ミュージカルの稽古」で話が終わってしまいます。まあ、本番ステージはきらびやかだけれども正面から撮るしかないので、実は映画的素材としてはそれほど魅力的ではないのも確か。そのあたりは、ステージドキュメンタリーを多く手がけてきたアメリカの映画監督フレデリック・ワイズマンの諸作品を見ていて感じることだったりします。

 何にしても今回のエピソードが、ここまで積み上げてきた超リアルな描写をいったん脱構築する試みであるのは確か。だからこそ、ここまで一切出さなかったマンガ的なクズシ絵を多用したり、キャラ設定を壊しかねないギャグめいた演出を盛り込んでみたりするのでしょうね。全エピソードの中間点一歩手前の6話目にこういうエピソードを入れてきたというのは、自身の演出が硬直化することを嫌う松尾氏ならではのスタイルかもしれません。「ローゼンメイデン」のころはそのねらいがうまく決まらず曖昧な印象を受けたものですが、さすがにここまで来ると手馴れたもので。積み上げてきた表現を崩すことで別の側面を見せることを狙ったものだとすれば、次回からの表現に注目しないわけにはいかない。果たしてどう出るか。さて…
posted by てんちょ at 12:48| 大阪 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

「紅」第5話

 ストーリーが進むに従って、どんどん話が異常になっていく。スタート時は、みんな普通の高校生だったはずなのに。主人公も貧乏なだけでごくありきたりに見えたものですが。最初は便利屋みたいなものかと思っていた「揉め事処理屋」も、いつの間にかえらくスケールの大きなネゴシエーターと化している。

 今回もまたすごい。よりにもよって「暗殺拳」ですか!そういうマンガ的な設定をおそろしくリアルな表現で記述していくところが、実に興味深い。こういうスタイルをとると、表層的なストーリーとしては特に何も起きていないのに、視聴者の側からみるとボロボロと現実の基盤が突き崩されていくような違和感がすさまじい。

 アニメイトでの紹介文によれば、原作本は「ドタバタアクション」なんだそうです。さもありなん。別に駄作ではないけれど、よくある娯楽アクションにすぎないということですね。原作者は何も小難しいことを考えてこの話を作ったわけではない。このアニメ版を見たときに、どう感じたんでしょうか。ぜひとも知りたい。

 登場人物たちにしてみればすべてが日常の出来事。真九郎が紫と一緒に電車を乗り継いで夕乃のところに格闘技の稽古に出かける。帰ってきて買い物をしてアパートの住人たちと鍋を食っておしまい。

 ところがこの「日常」がすさまじく異常。崩月の「技」って、ごく実用的な護身術だとばかり思っていたんですが、なんと暗殺拳。そして稽古の相手は夕乃の父ではなく夕乃本人!この格闘シーンがまたおそろしく身体感覚を刺激される「痛い」表現でありまして。実際の格闘シーンではなく、稽古のシーンで作画枚数を使ってくるというのも、かなり明白な「哲学」を感じる次第。こんな荒唐無稽な世界を湯豆腐と同列で語る登場人物たちへの違和感がじわじわと高まっていくわけで。って、次回はまたさらにとんでもない何かが提示されるんだろうなあ。エピソードの順番をシャッフルするだけで、ここまで異様な世界が立ち現れてくるとは。
posted by てんちょ at 22:52| 大阪 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月30日

「紅」第4話

 それにしてもこの物語、冷静に考えれば誠に荒唐無稽。そのお約束に乗っかるのではなく、荒唐無稽さをあげつらうのでもなく、違和感のあるものを違和感のあるまま描こうとするのがこの「紅」の特異なところといえるでしょう。

 じわじわと妙な設定がにじみ出ているわけですが、登場人物たちにとってはそれが当たり前の世界、しかし実にあり得ざる設定を何とも妙な違和感のままに描き出している。原作のイラストを見れば、まさしく「そういう世界」の話だというのは明白なわけですが。

kurenai1.JPG

 それを一挙手一投足を緻密に描き出す超リアルなスタイルがすさまじい。何しろ「クズシ絵」のマンガ的表現が一切なく、とことん実写的に細部まで描き出していく。むろんそれは実写そのものとは大きくかけ離れた間接的な表現であるわけですが。そこに「二の腕から刃が突き出す」といった荒唐無稽な表現が混入することによって大いに表現が混乱する。それを意図的に投入することによって、身体の違和感を描き出すのが松尾監督の作戦というわけですよね。上の原作イラストと比較すれば差異は歴然。

kurenai2.bmp

 違和感は果たして空間から排除すべきものなのか。そうでない可能性もあるのではないか。そのあたりも含めて、実に趣の深い、考えさせられる演出といえますね。まさしく、「実写とは異なるリアルさ」を確立した日本アニメならではの表現のある極北。わずか12回で終了だそうですが、どう終わるか、それもまた注目です。
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2008年04月22日

「紅」第3話

 というわけでとうとう始めてしまいました。最初からカテゴリー立てて(^^;

 第3話からとはいえ遅くはあるまい。というわけで。まさかこれを語ることになろうとはねえ。4月スタート時は考えもしなかった。とはいえ、この作品が4月スタート作品の中では突出してできばえがすばらしいということは衆目の一致するところのようで。

 毎回演出スタイルが同じ、というのは個性を意味するのかマンネリを意味するのか。結構難しい永遠の課題ではありますが、われらが真下社長のように何を題材にしても自分のフィールドに引きずり込むというのはひとつの個性。一方、新房昭之のように毎回たくさんの女の子が登場する学園ものを手がけてその演出方法が全部一緒、というのはただのマンネリのような気がする。

 ではこの松尾衡監督の場合はどうか。実は彼の代表作とされる「ローゼンメイデン」については、私はあまり評価していない。ギャグとシリアスの振れ幅が大きすぎる気がするし、引きこもり少年に色目を使ってみたり、ゴスロリに色目を使ってみたりと、いろんなものを気にしすぎて結局何が言いたいのかよく分からない。まあ、これはいろいろと何でも取り込んでそれなりに話が作れるよ、という脚本の花田君ならではのポーズが強い気がするんですけどね。だから、彼から離れた「レッドガーデン」の方が、より松尾カラーは出ているんではないでしょうか。

 当時名古屋にいたので残念ながらリアルタイムでは追えなくて、ネットとあたしかさんの助力を得て後に全話鑑賞。うーん、これはリアルタイムで追いかけたかった。最初の頃のミュージカル演出が後半ではなかったことにされたり、微妙な整合性のなさはまだ見受けられるのですが、真下のサイケカラーとも違う和風な極彩色の演出、「身体への違和感」という、生涯をかけて追いかけるテーマを見定めた決意、どんな作品でも必ずこうする、という「ガーデン式」のキャラクターデザインには驚かされました。

 だってね、「レッドガーデン」と「紅」はストーリーとしては共通点がまったくないでしょう。しかも原作付き、その確固たるイメージを持った原作をわざわざ変更して「レッドガーデン」と同じ演出を施す。これはかなりの覚悟がないとできないでしょう。

 本屋で「紅」の原作を手にとってみたのですが、要するにあれは少年学園ハードボイルドもの、という感じのものですね。いつの時代もある、別にそう珍しくもないもので。「そういう世界の出来事」と荒唐無稽さを受け入れれば楽しめるタイプの物語。

 ところが松尾監督は、いきなり何の説明もなく「オレは揉め事処理屋だ」と学生服で闘う主人公を冒頭からいきなり登場させ、設定の不自然さをわざわざ強調してみせる。しかも彼はその仕事をまるで隠さず学校でもおおっぴらにしている。これはいったいどういうことなのか?

 そう思っていると、単なる取り巻きに見えた少女たちが実は主人公と同じ側にいる存在であることがじわじわと分かってくる。平和な学園生活と殺伐とした荒事の世界、普通はこの二つをバッサリと分けてしまい、主人公だけがそのふたつを行き来しているように描くもんなんだけど、この作品では二つはかなり判別できないほどに入り混じってしまっている。主人公・真九郎は決してスーパーマンではなく、ごく普通の高校生なのだけど、極端に貧しく、ただ食べていくために、淡々と「仕事」をこなしていく。そのためには、飲み屋でチンピラを殴り倒すこともいとわない。ただし、仕事でない限りは、電車の中で不良に絡まれてもぺこぺこと謝る。そういう凡庸な少年でもある。

 といったことが、真九郎の学園生活と、真九郎を追いかけて学校にやってきた紫の珍妙な行動を交互に描くことで徐々に浮かび上がっていく、というのがこの第3話。単純なようでいて実に奥が深い。深夜主体になっていろいろと実験的な表現が競われている日本アニメだけど、まだこんなやり方があったとは。アニメ表現の奥深さに驚くばかりです。フラッシュを悪意を込めて使用した、「サイケサザエさん」とでもいうべきOPも出色。松尾監督には、ぜひこの方向でとことんまで突き詰めていっていただきたい。何が見えてくるか。最終回が楽しみです。
posted by てんちょ at 22:51| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする