望月監督、本当に遅くなってすみません。放映から3カ月もたってしまいましたが、ようやく書き込むことができました。
こうして改めて見ていると、実に異色のシリーズだったと思います。
「死を直接取り扱わない」
「生理的感動を排除する」
という2大約束事は、死をテーマとした表現としては、相当に画期的なことだったと言っていいでしょう。
今回こそは、本当に死を扱うのか…と思わせておいて実は違う、という結末。「最後ぐらいは本当に死んだ人を扱ってほしかった」という意見も多かったようですが、私はこれでよかったんではないかと思います。どうやら望月監督は、自分で決めた約束事は、頑ななまでに守る人とお見受けしました。いや、別に誰が命じたわけでもないし、出資者や視聴者の要請があるわけでもないんだから、破ったってかまわないんでしょうけど、望月監督は自分で決めた約束事から作品を組み上げていくタイプなんだと思います。だから、約束事を破るとその瞬間に物語も壊れてしまう。ならば、そのまま押し通すしかない。
結果としていろいろ見えてきたものもあると思います。今回のエピソードの表層的な結論とは異なりますが、
「自分が死んだかどうかは、意外と分かりにくい」
ということでもあります。実は、桜は本当は死んでいるのかもしれない。前作の「絶対少年」と通底している課題ですが、人間の意識というものが脳の活動そのものである以上、ほんの一瞬がきわめて長い時間に感じられることもあります。脳死とされている人の頭の中てどのような意識活動があるのかは、実は分からない。意識が最終的には脳神経のパルスという電気の火花に還元される以上、結局のところ、テレビのコンセントを抜くように、ブチッと切れてしまっておしまい、というのが本当なのかもしれません。しかし、それをテレビの側から見たときどう感じるのかはまた別問題。
わたしたちは、いわば自意識を持ってしまったテレビなのですから。消え行く電気を電気自身が記述するとしたら、それはどんなものになるだろう?それは案外、引き伸ばされてとても長く感じるかもしれない。外側から観測している者にはほんのゼロコンマ数秒のことだったとしても。
命は実はごくつまらない電気信号に還元できてしまうのかもしれない。しかしまあ、電気には電気なりの自覚があって。それを大切に思う気持ちを持ったとしても悪くはない、というところでしょうか。
ことさらに情動的にならなくても、このように「生への執着」を描くことはできる。そういう意味で非常に興味深いものを見せてもらったと思いました。特に、今回の主人公・桜が生を実感する食べ物として何度も登場するのが、何と「カツ丼」とは。超高カロリーでいかにも身体に悪そうな食品を小道具として登場させるというのは、ちょっとしたブラックユーモアですが、だからこそ効果的といえるかもしれないと思いました。さすが、料理を知っている人は、そのへんのさじ加減が分かっているなあ、と思いました。カツ丼みたいな高カロリー食品は、作るときも食べるときも実に背徳的な感覚になるものです(笑)だからこそ、「命」を意識せざるをえなくなるわけですけどね。
というわけであまりにも短く終わってしまった全6回。うーん、もっと見たかった、と月並みな感想ですが、第2シーズンが可能ならぜひお願いしたいと思います。別に「しにがみ」でなくてもいいんだけど、そろそろ望月監督の新作の噂など耳にしたいところであります。今後もご活躍を期待しております。
2006年07月19日
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放映からもう三ヶ月も経つんですね。こうして記事を読んでいると、何とも懐かしい気分に襲われます(笑)。「カツ丼」とかあったなあ。
>望月監督の新作
そちらも期待したいところです。
本当、望月監督の新作みたいですよね。