2008年10月09日

思考は物質か

 久々に純粋な論考をやってみることにします。というのも、ときどき書き込みをしてくれるXYZさんが非常に長文のレスをつけてくれたので、これはきちんと書かないといけないなと思った次第。とはいえ、あまりに長くなるとそれはそれでブログの本旨から外れますので、そこそこでご勘弁を。

 とりあえず、XYZさんのレスのあるコラムはこちら。↓

http://tenchyo.seesaa.net/article/107660223.html?reload=2008-10-09T02:52:06

 そうですね。どこからはじめましょうか。まず「無限の住人」における鯖人の哲学ですが。これは、実はそれほど複雑なものではないので、紹介してしまいましょう。

「永遠の美しさ…究極の愛とは即ち死である」

 まあそういうわけで。人間は時間というベクトルに乗って朽ちていく存在であるわけですが。そこから外れるためには時間を停止させるしかない。そのためには「死ぬ」しかない。その結果としての「剥製」という行為に美を見出すのが鯖人の哲学。剥製になって愛する人と縫い合わされて一体になりたいと。ところが死ぬことができない万次という存在を目にして「認めんぞ!」と動揺する羽目になってしまう。鯖人の哲学は非常に即物的で凡庸なものですが、本人もそれは分かっていて、「それしかない」と思っているからそのことに執着している。ところが、万次という抜け穴を目の当たりにして動揺する羽目になってしまう。

 さて、それならば万次は本当に抜け穴なのか?

 ここから、あえて生物学の文脈で話してみます。近年の研究で分かってきたことなのですが、生き物は、それまで生きてきた時間を等分に分割することで時間を認識します。10歳の少年の10分の1は1年間ですが、60歳の男の10分の1は6年。どうやら、生き物はどちらも同じ長さに感じるらしいのですよ。要するに1年=6年。60歳の男にとっては、10歳の少年の6倍の早さで時が流れていくように感じるのです。年をとるほど時間がたつのが早く感じるような気がするのはそういうわけだったのです。これは人間の場合、知覚と代謝の関係として完全に数値化することができます。

 だから、いくら寿命を延ばしたところで、実は「生きていると感じる時間」を引き伸ばすことはできません。同じ長さのカステラをどれだけ薄く切るかという問題でしかない。

 XYZさんは物理法則を超越する人間の意識を模索しておられるようですが、残念ながら、実はそんなものは存在しません。もちろん「撤回する」と言っておられるのだから理解しておられるんだろうけど…「超越した」と錯覚することはもちろんできますが、人間の意識が最終的に脳の電気信号という物理現象に収斂されてしまう以上、本質的には物理現象を超えることはできません。「超越した」と物理現象の範囲内で知覚しているにすぎないわけです。

 「私が超越したと知覚しているのだから、私の脳内では超越した、という結論が正しい」

 というのがXYZさんの理解ですよね。少なくとも私はそう解釈しました。合ってますか?間違っていたら言ってください。私たちは脳でしか知覚できないのだから、脳の出力データが「超越した」という結論を出せばそれが現実となるのではないか、とそういうことですよね。

 確かに量子論は人間の主観が物理法則に影響を与える可能性を指摘したという意味で画期的なのですが、何も物理的に不可能なことでも起き得ると言っているわけじゃない。あくまで可能性は物理法則の範囲内でしか起きません。

 人間の意識の中はその限りではない?確かに。ですが、それは閉じた大時代的な唯我論でしかないのではないでしょうか。
posted by てんちょ at 03:38| 大阪 ☀| Comment(11) | TrackBack(0) | 無限の住人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
XYZ氏とてんちょ氏の議論を読んでいくつか思ったことをば。

人間の意志と物理法則、どっが先か?
この議論の前提には物質と精神とは別である、心と体は別である。という考え方があるようです。
で、心と体が別物であれば人間の体を治すために臓器移植とか輸血なんてことをやっても全然問題ないわけです。
そして、実際そういった人間の体を機械であるかのように扱う近代医学はちゃんとした成功を収めています。
しかし、この世界観にとっては都合の悪い真実がここにひとつ存在します。
肉体的にはまったく異常が無いにもかかわらず、肉体的異常が存在するという病です。人はそれを精神病と呼びます。
たとえば、まったく異常が無いにもかかわらず、耳が聞こえないだとか、あるいはなぜか足が動かないだとか、これはいわば物語の病です。
物質がすべての原因であるとの考え方から言えば、これはとても都合の悪い真実です。
では、肉体的異常はすべて心的原因に由来するのでしょうか?もちろんそんなことはありません。現実にはただそこに現象が存在しているだけです。

ユング心理学の中で最もわけのわからない概念、いやもっと言ってしまえばあともう少しでただのオカルトにしか見えない概念、「共時性」という概念があります。私自身もよくわからない考え方なのですが、私自身がかろうじて理解できたのは、『「因果律」なんてあんなものは虚構だよ。』という部分です。自然界にあんなものはない!ただそう見えるだけなんだ、と。厳密に言えば人間が自然界に見たときの解釈の一つに過ぎないんだと。

さて、問題はつまり『因果律』です。肉体がすべての原因であるとも言えなく、心がすべての原因であるともいえない、ならば心身二元論という世界観自体がおかしいのではないか!・・・・・・ということがユング派の人の本に載ってました。

以上、本からの受け売りが大部分を占める感想です。
あっ、そうそうユング派の本にはよく「共時性」つながりで量子論の話をよくみかけます。ユング自身物理学者W・パウリと共著で「自然現象と心の構造」という本を出しています。ただ問題なのは本の中身です。あまりにも難解で積読状態、一体いつになったら読み通すことができるのやら・・・。
Posted by T at 2008年10月09日 11:38
まず結論から申しますと、てんちょ様の「閉じた大時代的な唯我論」ポール様の「体験者の自己満足」と言う御言葉は間違いではないでしょう。私の信条としては、自分の人生、自分が人間であることは、価値をおくべきではないことだと最近考えられるようになってきました。今回いろいろ切っ掛けが重なって、こちらに書き込みさせて頂き、自分にとってその認識を強化するのに役立つものだとも思えるのです(強化したところでただちに人間を止められるわけでもありませんが)。私は意図的に「人間(人と人の間を生きる)」という言葉を避けて、「人」という言葉を使用して参りました(漢字の由縁から考えると、あるいはそれも不正確かもしれませんが)。てんちょ様が「あくまで物質主義者」と仰るのであればそれ以上議論の余地はないのかもしれません。ただ申し述べさせて頂きたいことがあるのですが、今回そもそも出発点となったテーゼはまずなにより「MADLAX」に照らしたもので、てんちょ様の「MADLAX解析日記」の最終話や、「教えて!なぜなにマドラックス」の第3講を意識したものですが、私の認識がどこか違っていたとしたら多謝致しますが、どのような意味においてもそちらに対する総括がなく、逆のことを仰られているようにお見受けするのです。つぎにポール様の「われわれを包む世界がかわりましたか」という仰せですが、東条英機にしても(東条がもし役不足なら田中角栄でも、小泉純一郎でも誰でも構いませんが)、人間の原理で変えられる次元のことはまったく無味無乾で侘しいものだと私は感じているのです。このことについて、ポール様の御理解を頂くために、また私自身ポ−ル様と面識はないのですが、ある面非常に興味深く、自分でも今のこの考えを何かしら改める必要があるかを知るうえでもアプローチを変えて考察してみたいのですが、その為の前提確認をさせて頂いて宜しいでしょうか?「エル・カザド」のブログでお見受けしたのですが、ポール様はキスをしたことがないというのは本当でしょうか?本当だとしたらそれは異性に興味がない、あるいは性交渉の対象として口は埒外においているということでしょうか?そうであった場合はだいぶ話が変わってくると思うのですが、そうでなかった場合、人間にとっての「知覚」の意義について考えるうえで非常にうってつけの事象だと思うのです。ネタに使われてりることなので、それほど失礼にはあたらないと思うのですが、お差支えなければ御教え下さい。
Posted by XYZ at 2008年10月09日 14:35
 Tさんごぶさたです。

 夜中にカタカタやってて家族が起きてきてしまったので、昨日はここまでとなりましたが、まあ、だいたい言いたいことは言えたかな。

 ただ、何度も言ってるとおり、私は哲学は不得意分野なので。自然科学方面からのアプローチしかできませんけどね。将来的には哲学は自然科学の分野になってしまうような気もする昨今。

 脳が物質であることが判明しつつある現在、精神病も肉体の病と何ら変わらない疾患にすぎないという認識なんですけど、そのへん、どんなもんでしょうか。だからこそ薬物投与である程度は治癒しうるわけであってね。心身二元論はもう成り立たないんじゃないかな。

 「因果律」は、要するに「人間は強く印象に残ったものに意味を見いだそうとしたり何度も起きているように錯覚する傾向がある」ってことでは?人類の共有記憶って、SFとしてはおもしろいけど、マユツバだなあと思ってます。

 ちなみに、哲学の本って、一部を除いてどうしてああも難しいのかなあ。よくよく読んでみたらすごく簡単に言えることをわざわざ難しく言っている気がして仕方ない。スタニスワフ・レムも「簡単な話を難しく語る必要はどこにもない」と言ってますよ。
Posted by てんちょ at 2008年10月09日 15:41
 あらら。XYZさん入れ違いだったのですね。失礼しました。

 確かにウェブ上の論旨は中途半端かもしれませんが、そのあたりのフォローはすべて同人誌でやっているので。「MP4号」「MYMADLAX」あたりを読んでいただくとわかるかな。

 私はあくまで同人誌メインでウェブはサブと考えていますゆえご容赦を。そうでないと同人誌やってる意味がなくなってしまう。お金ないよ、というのでしたらデータ送付など別口で相談に乗りますので、メールください。

私の主張は、古代エリエス文明は人間の脳を量子コンピュータとして活用した、という説ですから、これ以上物質主義的な主張もないと思いますけども。

 違ってたらごめんなさい。XYZさん、他人とつきあうのが苦手なんじゃないかとみましたが。私も若い頃はそういう側面があったので、他人事じゃないです。今でも友達少ないし(オイ)ただ、哲学書を読んで内面にのめりこんでいったとしても、回答はそこにはない、というポールさんのアドバイスは正しい、ということは私からも付け加えておきましょう。
 個人的な経験からアドバイスすると、同じ趣味の友達をまず捜すのがいいんじゃないでしょうか。話には困らないし。ケンカになるといけないので、哲学関係はやめた方がいいかな(笑)できればアニメとかで。

 以上、オッサンのおせっかいと笑って聞き流していただければ幸いです。冬コミのときとかお会いできるといいですね。 
Posted by てんちょ at 2008年10月09日 16:03
私のとりこし苦労でしたら御詫びしますが、「無限の住人」7話の最後にあったてんちょ様のコメントを拝読すると、私に対する返答を放棄したようにも見受けられますが、「今回出発点となったテーゼ〜逆のことを仰せられているようにお見受けするのです」の件については哲学云々はほとんど関係なく、管理人様の責任について伺っているのですが、こちらに関する御回答は頂けるのでしょうか?
Posted by XYZ at 2008年10月10日 17:02
あらら。私の書き方が悪かったかな。

XYZさんが書いておられるひとつ手前書き込みを見てくださいな。同人誌でそのへんのことは書いているんですよ。ここで書くには長くなりすぎるので、同人誌を読んでいただくか、こちらから同一のデータをお送りしたい、と申し上げているのですが。

とりあえずメールください。
Posted by てんちょ at 2008年10月10日 23:43
あ、失礼。マドラックスの量子論特集はMP第5号ですね。今となってはいろいろとなつかしい。
Posted by てんちょ at 2008年10月11日 00:32
たびたびすいません。久しぶりになぜなにマドラックスを読み返してみました。自分の記憶よりもかなり踏み込んだところまで書いていてびっくりしました。あれ、ウェブでもこんなところまで書いたっけ。すいませんオッサンなもんで。昔のことは忘れてしまう(^^;

うーん。となるとXYZさんがこれを「正反対」と取った理由がまったくわからないな。

第3講を久々に読み返してみたんですけど、これがどうして正反対?うーん。XYZさんは唯我論的方向から誤読してしまったようですね。そういう形で量子論を誤解する人は多いので、そこはもう少し丁寧に書いておけばよかった。そのへんをきちんと排除しないから、私は竹内薫はズルいと思うんだけど。
ただ、個人的な繰言を述べさせていただくならば、第4・5講をちゃんと読み込んでいただければ、そうではないと分かると思ったんだけど…ダメですか?(^^;

「MADLAX」はあくまでコペンハーゲン解釈の世界です。多世界解釈ではありません。よって、観測行為によって世界の可能性は収縮するのですが…観測者は別にあなたでなくてもよいのですよ。科学監修をお願いしているSFさんと議論した時に取り上げたあるたとえ話を紹介しましょう。

「シュレディンガーの猫を閉じ込めた箱をまず霧香が覗き、ミレイユにその結果を言わなかった場合、ミレイユにとっては相変わらず猫は半死半生の状態のままなのか?」

XYZさんの解釈だと、「その通り」ということになるんですよね。ところが現代物理学の出した結論は違うのです。「霧香が覗いた段階で可能性は収束しており、ミレイユにしゃべろうがしゃべるまいが結論は同じ」なのです。要するに「人間が誰か観測する」行為こそが大事なのであって、それは誰でもよい。早いもの勝ちなのです。信じがたいことかもしれませんが。しかし、だからこそ現代科学は面白いといえます。人間の陳腐な想像力をはるかに超えた世界を見せてくれるのですから。
Posted by てんちょ at 2008年10月11日 01:19
失礼しました。送信を終えて戻った時点で気がつきました。第3講に関しては私の認識が浅はかだったようです。多謝いたします。しかし、今のところてんちょさんの御説をすべてのみこめたわけではないし、そもそもお互いの認識を誤解していた面があったわけですが、いまのところてんちょさんが私の「人の意志は物理法則を超越する」というテーゼに反対されて、私が「逆のことを仰せられている」という論法自体は成立すると思うのです。「被験者がバーチャル空間で観測したことはどんなに物理法則に反することでもそのままそれが真実になってしまう」、これを「人間の誰かの観測する行為は物理法則を超越する」と置き換えても問題ないと思います。「その人間の観測行為」を司どっているのはその人間の本質、場合によっては私の言葉で表現した「人の意志」と考えていいと思うのです。ですから、「人の意志は物理法則を超越する」というテーゼはてんちょさんの御説に照らしても間違っていないといえる面があると現時点では考えるのですが、確信はありません。御異論があった場合は御指摘願います。「シュレティンガーの猫」のたとえ話については具体的にその論旨がどう導かれるかわからないので、現時点ではどちらともいえないというのが私のスタンスなのですが、私の解釈だと「その通り」ということになる論拠を恐縮ですが、御提示下さい。そのことに一見関係しているように思えるのですが、あるいは私の的外れかもしれないことで以前から伺いたかったことを記述してよろしいでしょうか?「教えて!なぜなにマドラックス」第1講に「フライデーはカロッスアに撃たれても痛くもかゆくもない。カロッスアが実は死んでいることを知っているからだ」とありますが、だとすると「フライデーはカロッスアに自分のもとで仕事をさせてきたが、なにひとつ実らない。カロッスアが実は死んでいることを知っているからだ」という論法も成立してしまうのではないでしょうか?最終話での対決シーンでのやりとりから、フライデーとマドラックスは同質の存在だといえるの思うのですが、マドラックスがヴァネッサやエリノアの前では負傷して苦しんでいたが、二人が眠っている間に傷はなくなっていたのと同じ道理で、カロッスアにとっての現実では、フライデーは確かに死んだのだが、フライデーはそれを共有してはいない、と解釈するほうが自然ではないかと思うのです。
Posted by XYZ at 2008年10月12日 00:45
てんちょ氏へ。
すいません。言葉足らず、説明足らず、論旨を混乱させてしまったことをお詫びします。

心身二元論と因果律に対するてんちょ氏の解釈、私は賛成です。そのとおりだと思います。
ただ、人類の共有記憶についてですが、これはユングの言う集合的無意識(普遍的無意識)のことでしょうか、それでしたら、すこし誤解があるようです。アレは人類が普遍的に持っている刺激に対する反応のパターンがあるということを言いたかっただけらしく、無意識のレベルで人間同士はつながっているとか、獲得された経験が遺伝するということを言っているわけではないそうです。
Posted by T at 2008年10月12日 10:55
>XYZさん。
また長くなってきたので別項立てました。何かまた勘違いしてないといいんですが…(^^;

>Tさん
ああ、なるほど失礼しました。ユングのことは誤解してたみたいです。申し訳ない。日々勉強ですね。
Posted by てんちょ at 2008年10月12日 17:07
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